パイプのない男 / The Man with No Pipe.
このオートマタに登場する男は、最初はパイプをくわえていない。
しかしハンドルを回すと、顔の前面がゆっくりと開き、その内部から一本のパイプが引き出される。
やがてそれは男の口元へと運ばれ、まるで最初からそこにあったかのように、男はパイプをくゆらせるのである。
動きとしては一見きわめて簡潔に見えるが、内部機構は決して単純なものではない。
むしろ、とてつもなく考え抜かれた構成であるように私には思える。
だがこの作品の魅力は、その単純な動きのなかに潜む「論理の逆転」にある。
タイトルは「パイプを持たない男 / The Man with No Pipe」である。
観客はまず、パイプを持っていない男の姿を見る。
しかし最後には、パイプをくわえる男の姿を目にすることになる。
この見事な逆転は、ポール・スプーナーが得意とする機械仕掛けの諧謔の典型例と言えるだろう。
スプーナーの作品には、人間の習慣や思考のあり方を、独自の機構によって示すものが多い。
この作品もまた、そうした性格をよく表している。
外側にあると思われたものが、実は内側に潜んでいた。あるいは存在しないはずのものが、
機械の動きによって現実のものとして成立してしまう。
この逆転こそが、この作品の本質なのである。
さて、この作品には大小二つのサイズが存在すると言われている
。
大きなサイズの作品は、2011年以降、作者がある出版社からの依頼により制作し、
新しいシャーロック・ホームズ小説の著者への贈り物として作られたと伝えられている。
ただし、その贈り先の人物について作者は明らかにしていない。
シャーロック・ホームズといえば、パイプをくゆらせながら思索する姿が広く知られている。
ところがこの作品の男は、最初からパイプを持っているわけではない。
パイプは、まるで思考が形となって現れるかのように、頭の内側から取り出されるのである。
そこには、推理という行為そのものを機械的な運動として置き換えたかのような、
軽やかな皮肉を見ることもできる。
ホームズの物語には「吠えなかった犬」という有名な推理がある。
そこでは、起きなかった出来事が重要な手がかりとなる。
「パイプを持たない男 / The Man with No Pipe」という題名もまた、
最初に存在しないものを示し、やがてそれが現れるという逆転を含んでいる。
この作品は、推理小説に特有の論理構造を、ユーモアとして提示しているとも言えるだろう。
なお、私はこの作品のケースの内側に記される日本語の言葉について、作者から相談を受けたことがある。
それは箱の外ではなく内側に書き記すよう指示されたものであった。
しかし、その言葉については公表しないでほしいと頼まれているため、
ここでは具体には触れないことにする。
その小さな秘密が、この作品にどのような意味を与えているのかは分からない。
ただ、外からは見えない場所に言葉が残されるという構造は、
このオートマタの仕掛けそのものとどこか呼応しているようにも思われる。
人間の思考や習慣の不思議さを封じ込めた、哲学的オートマタである。