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執筆者の写真Hal Furuta

大名時計

更新日:2020年10月22日


すこし古い話で恐縮ですが、2012年に「天地明察」という映画を観たときの感想を交えて、ここに和時計=大名時計についてだけ触れてみたいと思います。この映画では、主人公が”日時計”を江戸藩邸に作ってたシーンが印象的でした。いまでいう時計という概念はまだなかったのです。江戸の末期となりますと、和時計という現代の置時計に近い姿で登場します。 しかし、その内容は現代のそれとは大きく異なっていました。 画像は2001年7月号として刊行された「芸術新潮」で、「ニッポン モノづくり 奮闘記」が特集されていた際の”和時計”の紹介ページです。 それによりますと、時計の針は2つではなく、1つで、しかも針の速度が速くなったり遅くなったりする世界で類を見ないモノ、それが「和時計」の最大の特徴であったようです。 なぜ針の進み具合が一定でないのか? 大変、興味深いわけですが、これは「不定時法」といって、昼と夜をそれぞれを6等分し、一刻と定める慣習が大きくかかわっています。 (以下、本文から) 江戸期にかかわらず、現代でも昼と夜の長さは季節によって変動します。夏至の頃でいえば「昼の一刻」は約165分、「夜の一刻」は約75分と、倍以上もちがう。かつては、世界中でこうした不定時法が採り入れられており、ヨーロッパも例外ではなかった。(中略) 基本は時針を1本にして、24時間で1周するように速度を遅くすること、そのうえで、不定時の時が刻まれた和式の文字盤に変える。季節ごとに時間変化に対応できるよう、文字盤は月に2回ほどの交換が必要となる。 さらに高度な改造は二挺天符(にちょうてんぷ)の導入。天符とは針の進み方を調節する調速装置で、昼用と夜用の2つの天符をもつ時計を、日本の時計師はつくりあげた。しかも朝夕の天符の切り替えは、機械が自動的にしてくれるというからラクチンだ。ただし季節ごとの時間の調整は天符の重りを懸けかえて行わねばならず、これには人手が必要。当時の武家や商家の使用人は、時計の重りを懸けかえることが、一種の資格とみなされたという。(以上、本文まま) ※ ここからは私見です。一見、不便に感じるのですが、季節に応じて昼の長さを調節するという”発想”は、生き物としての人間のあり方を生理的に調節することにも繋がります。つまり、日が昇ったら活動しはじめ、日が落ちたら休むという、スローライフに適合し、かつ合理的な考えだったのではないでしょうか。

MOLEN

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