1階エントランスホールに掲げるためにあらかじめ用意した高さ2.4m、幅2.4mのカンバンを設置してみると、とても小さく見える。それは床から天井高さが10m近くもあるからなのかもしれない。
それでも入口扉の外から眺めると、ハッキリとそれ(秋季特別展)と理解できるし、それなりの大きさに見えることがわかり、少しホッとした。
話は横道に逸れるが、このエントランスを野生の猿たちが、そっと覗き込んむこともあるそうだ。もっとも、美術館に限らず、湯田中駅周辺にも猿たちの姿を目撃することは日常らしいので、この長閑で、自然と調和した環境が羨ましく思えてくる。 話を設置の進捗に戻すことにしよう。徐々にレイアウト図に予定された箇所に作品各々がその存在を露わにし始めると、それまで誰にも言えなかった不安が少しずつ払拭されていく。
頭に描いたレイアウトを図に記したとたん、望洋としものが確固とした自信へと変わる。「この作品は、この展示室のこの位置でなければならない。なぜならば...」という明確な根拠のことである。 しかし「予想もつかなかった」が待ち受けていることもある。 例えば今回、解決すべきテーマは、会場で少々、感じられる、前後の位置感覚、高低の位置感覚を少し弱めるような空間構造の解消にあった。
この言葉の意味するところは、おそらく実際に、この場所に立ち作品と向かい合うことでしかわからないのではなかろうか。この会場の持つ独特の空間を、私の言葉で説明することは難しいからだ。
最初は誰もが戸惑い、まるでジャイロが故障したロボットのように、平均感覚、方向感覚を喪失するかもしれない。しかし幸い、私たちはロボットではなく、対応力を持った人間である。 後でも触れるが、ある種ここで沸き起こる不思議な錯覚感は、比較的短時間で、三半規管やその他の順応し見事に戻るだろう。
これは、不連続で角度の異なるカーブした壁、微妙に幅員の異なる通路、非日常な天井の高さ、それも場所によって天井高が微妙に変化することに起因していると思われる。 さらに、前後と高低の位置情報を錯そうさせるに十分な環境は、濃淡を織りなす自然光と照明光の交錯により、一段の深みを与え、普段は考えもしなかった光線という存在を、いやも応もなく意識の中に浮かび上がらせる。
こうした環境から生み出されたこの美術館の不思議な空間は、日々、我々が体感している空間認知の常識という枠から解放することを導きだしてくれる。 すなわち、それを踏まえて、作品をどのように配置すべきか、照明の角度、照明量をどの程度にするべきなのか? その答えを導き出さなければならないのだ。