スパゲティを食べる男/Spagetti Eater|ポール・スプーナー/マット・スミス
スパゲティを食べる男
機械が暴く、英国的滑稽さについて
浴槽の中で、男がスパゲティを食べ続けています。
フォークを持ち上げ、麺を巻き、口へ運ぶ。
こぼれ、またすする。
その動作は終わることなく、延々と反復されるのです。
実をいうと、本作は単独作品ではなく、
着衣、下着姿、そしてバスタブへと至る 三部作の連続作品なのです。
衣服が一枚ずつ剥ぎ取られ、ついには浴槽の中へ。
この変化は視覚的な冗談ではなく、そこには明確な理由が存在します。
英国人と「異国の食べ物」
かつての英国は、他国文化、とりわけ食文化に対して強い警戒心を抱いていました。
自国の伝統と作法に誇りを持ち、外来のものをどこか「洗練されていないもの」と見なす傾向があり、
そこへイタリアからスパゲティが流入します。
フォークで麺を巻き取り、上手に口へ運ぶ。
それには“技術”が必要だったわけです。失敗すればソースが跳ね、衣服を汚す...
テーブルマナーに自負を持つ英国人にとって、それは少々厄介で、
どこか気恥ずかしい食べ物だったに違いありません。
人々は人目を避け、密かに練習したのではないか。
最初は着衣のままで、
次に汚れを恐れて下着姿に。
そしてついには浴槽の中で。
合理主義的で実務的な英国人らしい、極端ですが理にかなった「解決法」ではあります。
この三段階の“進化”は、その滑稽な合理性ともいうべき流れを視覚化しているようです。
ビーフ・イーターという語の反転
タイトル《Spaghetti Eater》は、
Tower of London の衛兵、いわゆるビーフ・イーターを踏まえた明確な言葉遊びです。
ビーフ・イーター(ヨーマン・ウォーダーズ)は、王権と伝統の象徴であり、
歴史的には給与の一部として牛肉(beef)を支給されていたことが名称の由来とされます。
「牛肉を食べる特権的存在」。
威厳と格式の象徴です。
それに対して提示されるのが、
「スパゲティを、浴槽の中で、延々と食べ続ける男」。
この落差。
ここにあるのは、権威への攻撃ではありません。
むしろ英国特有の、自己に向けられたアイロニー(皮肉)なのです。
自分たちこそ洗練されていると信じる態度。
異国文化をさげすむ視線。
その姿こそが、実は最も滑稽なのではないか。
スプーナーは、そう問い返しているように思います。
機構を「見せる」理由
本作でもう一つ見逃せないのが、機構の扱いです。
18世紀のオートマタは、内部の仕組みを包み隠していました。
魔法のように動くことが価値だったからなのでしょう。
しかし現代英国の自動人形はそれとは異なります。
フィギュアと機構は明確に分けられ
・フィギュア=物語を演じる役者
・機構=舞台装置
通常、観客が見るのは役者だけで、
装置は裏方にまわります。
ところがスプーナー作品では、むき出しにされた機構も影の主役なのです。
なぜならば、単に「仕組みを説明するため」ではなく、
機構そのものを“観せる(魅せる)ため”に提示しているからです。
カムが回り、リンクが揺れ、歯車が律儀に往復する。
その反復運動は、上部の男の咀嚼運動とまったく同質なのです。
人形も機械も、同じように動き続けるわけです。
通常、オートマタはフィギアのサイズが1だとすると、
機構はその2倍か3倍のサイズ感となることが一般的です。
しかし、この作品に関して言えば、フィギアと同程度に収めている点が
特徴であり作者の機構も主役とする意図がそこからも読み解けます。
舞台装置までもが演者になるという
それは、まるで小さな寸劇をオペラの大舞台へと拡張したかのような、
見事な演出だと言えるのではないでしょうか。
滑稽さをユーモアへ変えるという倫理
そして最後に、最も重要な点があります。
スプーナーが見つめているのは、
「イタリア文化」でも「パスタ」でもありません。
彼が見ているのは 英国人自身の姿だと言うことです。
異国文化を嫌悪し、
自国の優位を信じ、
しかし裏では不器用に真似をしている。
その態度のほうが、よほど滑稽ではないか。
この作品は、そのことを告発ではなく 諧謔(ユーモア) によって示ました。
スプーナーは常に、自国英国であっても容赦せず、
愚かさや不条理を笑いへ変換し続けているのです。
なぜなら、笑いは人間を傷つけるためではなく、
人間を気づかせるための手段なのですから。
彼にとって自動人形自体は目的ではありません。
あくまで道具にすぎないのです。
作者が伝えたいのは、人間の本質なのだと彼自身が語ってもいます。
私たちが無自覚に繰り返してしまう偏見や因習への自覚にある。
自動人形はそのための装置なのだ。
《スパゲティを食べる男》は、
機械仕掛けのユーモアによって文化的傲慢を見事に裏返し、
私たち自身の滑稽さを映し出す、
スプーナー芸術の倫理そのものを体現した作品なのである。


