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  • 執筆者の写真Hal Furuta

白井聡著 武器としての「資本論」を読んで


この本を読み、我が国は、どこでどのように資本制社会へと変貌を遂げたのか?書籍の感想とはだいぶん離れますが、自分なりに感じたことを下に記したいと思います。

まずマルクスが「資本論」で取り上げたイギリスでの本源的蓄積ですが、日本国ではどういう過程を経たのか? 1873年の地租改正と松方デフレの2点がとても重要だと思います。

地租改正前は、日本では自作農家が大半でした。この新制度により、年貢という物納から貨幣による税金を徴収されるようになります。 その税率がとても高く、強い負担を自作農家に強いることになりました。

結局、自作農家は、泣く泣く田畑を手放し小作農へと転落の道を歩むのです。

そこに松方デフレ*が加わったことで、農村農民は荒廃没落。その多くは都市部に流入し、賃金労働者層となり、彼らを下地として企業勃興期を迎えるわけです。

当時、秩父困民党という集団が蜂起し、歴史の教科書でも有名な秩父事件を起こしています。松方デフレの最中の1884年の話ですが、貧農層はもとより豪農層までもが没落したことに起因していたようです。

さてこの地租改正ですが、自作農が手放した田畑を手に入れた人達がいます。大地主の誕生です。

その購入した土地を自らは耕作せず住まいもせず。そのため不在地主とも呼ばれています。

疑問なのは、たまたま、当時ある程度資金力が有り、自作農が手放なした耕作地を、偶然にしかも格安で購入したという話なのでしょうか? 広大な耕作地が、好条件で手に入ることを予め知っていたのではないか。今でいうインサイダーは存在しなかったのでしょうか?という疑問がわきます。

それまで農村で貧しいながらも平和で穏やかに暮らすことができた時代から、新政府の打ち出した富国強兵をスローガンとする政策方針は、当時中間層であったはずの自作農のライフスタイルを崩すどころか彼らの人生そのものを破壊しました。その陰で財をなした人達がいた…のではないかと?という素朴な疑問が胸に残りました。

こうして困窮した農民や労働者を数多く生み出した末路は、さらなる市場の拡大を求め、大陸に進出(侵略)し結局破綻しました。

政治に興味を持つことは我が身を守ることに直結していて、さらに言えば身近な税制について興味を持つことは私たちの暮らしを守るだけでなく、国家を間違った方向に導かないという基本的なことだと思うのです。

*松方デフレとは当時の大蔵卿であった大隈重信が西南戦争後の悪性のインフレを収拾しようとして失敗し下野し、その後任に松方正義が就き、増税と歳出抑制をミックスした均衡予算をもって、意図的な緊縮財政を行い、経済を冷え込ませたこと。加えてインフレで市場に出回っていた紙幣を政府が回収し燃やして捨てている。

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